人生には運命の出会いがあります。
「もし、あの人に出会わなかったら、今の自分はない…」というような出来事です。このような出会いが滅多にないかといえば、そうではありません。そこで今日は、運命の出会いについてわかりやすく解説します。
元大リーガーのイチローは、仰木彬監督に見出された話は有名です。
1994年、オリックスの監督に就任した仰木さんは、1993年の成績が打率1割8分8厘だった「鈴木一郎」に目をつけていました。シュアなバッティング、のびやかな動き、守っても強肩、しかも俊足です。その高いポテンシャルには、目を引かれるものがありました。
仰木さんは、若きレギュラー候補を全面的に売り出すために、奇抜なアイディアを考えました。鈴木では目立たたないということから、「イチロー」というカタカナでの登録でした。こうやって注目されるようになったイチローは、日本のみならず大リーグでも超有名選手として活躍しました。もし、仰木監督との出会いがなかったら、イチローの活躍もなかったでしょう。
このような話は、よくあります。
ジャズギターに革命を起こした「ウェス・モンゴメリー」は、インディアナポリスの片田舎のクラブでライブを行っていました。そこへ偶然訪れた有名サックス奏者の「キャノンボール・アダレイ」は、ウェスの演奏を見て驚きます。そして、すぐにプロデューサーに連絡をして、すぐに契約してレコーディングした方がいいと告げました。
そして、ウェスは片田舎のジャズギタリストから、ジャズギターに革命を起こしたアーチストとして歴史に名を残しました。ウェスの影響を受けていないギタリストはいないと言われています。ウェスもキャノンボール・アダレイと出会わなかったら…。
元巨人軍の投手「桑田真澄」さんにも、似たような逸話があります。
桑田さんは、174cmの小さな身体にも関わらず、巧みな投球術で活躍した巨人軍のエースです。中学時代から投手とした活躍した桑田さんは、15歳で名門「PL学園」にの野球部に投手として入部しました。
ところが入部早々の試合で散々な結果だったことから「お前、もう無理だろう。野手転向だ!」と投手クビ宣言を監督に言い渡されました。
桑田さんは母親に、「もう投手ではダメなのでPLを辞めようかと思っている」と打ち明けました。すると母親に、「補欠でもいいから3年間PLでやり通しなさい!」と、喝を入れらました。この一言で野球を続けた桑田さんは、ライトを守ることになりました。
ある試合で桑田さんは、ライトに飛んできたボールを矢のようなバックホームで走者を刺しました。そこに偶然通りかかった臨時コーチの清水一夫さんが桑田さんの返球を目にしたのです。そして、清水さんは、「お前、今日からピッチャーだ。」と伝えます。
「いえ。ボクはピッチャーはクビになって野手なんです。」と答えた桑田さんに、「いいから。今日から俺が預かるから、夏までに立派なピッチャーにしてみせる」と伝えました。そして、桑田さんと清水コーチのマンツーマンでの練習が始まりました。「桑田を先発させて負けたら全責任はワシが取ろう。一切野球から足を洗う。」と、地区大会で清水コーチは監督へ桑田さんの起用を進言しました。
その結果、桑田さん再びピッチャーとして、1年生の夏から清原選手とともに「KKコンビ」として甲子園で大活躍しました。さらに、甲子園で20勝という前人未到の記録を残し、プロの世界でも大活躍します。
もし、清水コーチが、桑田さんのバックホームの返球を見ていなかったら…。恐らく、桑田さんの人生はまったく違うものになっていたでしょう。人生とは不思議なもので、ちょっとした出会い、ちょっとした偶然で変わってしまいます。人生に「もし」はありませんが、どこにチャンスが潜んでいるかわかりませんね。
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