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執筆者の写真社長の大学★長谷川博之

非常事態で大儲けした発想とは?

非常事態になると、私たちが今まで常識だと思っていたことが通用しなくなります。 つまり、今までの常識が非常識になるのです。 たとえば、戦争を考えてください。 戦争は敵国を攻撃して、建物を破壊して、人をも殺してしまいます。 ですが、誰もその行為を責める人はいません。 むしろ、敵国を叩きのめした方が評価されるのです。 平時とは、まったく逆の価値観と行動になってしまうのが非常時といういうことです。

さて、昨今の社会情勢を分析すると、どう考えても非常時です。 新型コロナウイルスにより、外出自粛と経済の停滞を招いています。 命を取るか、経済を取るか、という議論もありますが、命を取るには生きていくためのお金が必要です。 そして、お金は経済活動でしか得ることができません。 経済を取るには、外出自粛や休業要請なんて言ってられません。 ですが、無防備に外出したり、店舗や会社の営業を続けたら、新型コロナウイルスに感染して命を奪われるかもしれません…。 このようなダブルバインド的状況にいるのが、今の私たちです。

このような状況から抜け出すには、新型コロナウイルスによってもたらされた現実をしっかりと見つめ、これを良しとして受け入れるしかありません。 もちろん、私たちの外出自粛という努力で新型コロナウイルスの感染を縮小することは可能でしょう。 ですが、それまで経済がもつのかという疑問がわいてきます…。 非常事態…、たとえば戦争の時、必ず大儲けしている人がいます。 調べていくと、茨城県行方市(なめがたし)出身の内田信也という人物に行き当たりました。 何でも高校の日本史の教科書にも出てくる大物実業家であり、大物政治家だということです。

内田信也は明治13年に行方市(旧麻生町)に生まれ、上京して麻布中学校を卒業しました。 その後、東京高等商業学校(現・一橋大学)を卒業します。 明治38年に三井物産に入社し、出世コースにのったエリート商社マンとなりました。 内田信也が事業を始めたのは、大正3年のことです。 三井物産を退社して、退職金と親類からの借金で神戸に「内田汽船」を開業しました。

なぜ、汽船会社だったのかといえば、背景として第一次世界大戦でヨーロッパでの造船需要が高くなっていたことがあげられます。 内田は日本で造船した船舶を輸出しまくりました。 そして、会社を設立してわずか1年で、株の配当金60割という凄い数字を叩き出して内田汽船を大きく社に成長させました。 内田個人としても、この1年で約200万円(今でいう約100億円)にもなる莫大な利益をものにして、大富豪になりました。

第一次世界大戦の日本は参戦をしていましたが、主戦場はヨーロッパでした。 ですから、日本国内では戦争の被害を受けることなく造船ができたことが、内田汽船が大成功した理由です。


ですが、第一次世界大戦が終了する頃になると、造船需要は激減して内田汽船は凋落します。

ところが内田は、有り余る程の財力で政治家を味方につけていました。 そして、不況の予兆をつかんでいたのです。 そして、第一次世界大戦が終了して1年ほどで、内田汽船の大部分を売りさばいて財産を現金化しました。 その後は政界とのパイプを利用して、国政に出馬して見事当選して衆議院議員となりました。

非常事態の時、必ず大儲けする人がいます。

目の付けどころがいいといえばそれまでですが、非常事態には平時とは違う商品やサービスが求められます。

では、今需要がある商品やサービス、ニーズが高い商品やサービスは何でしょうか? 真剣に考える時です。 もう、以前には戻りません…。 ●株式会社リンケージM.Iコンサルティングのオフィシャルメルマガの登録はこちら。


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